
もしあなたが乗ったバスの中で、見知らぬ誰かが突然、自らの過去の痛みを静かに語り始めたら、どうしますか。耳を塞ぎますか、それとも、ただじっとその言葉に耳を傾けますか。
今回ご紹介するのは、詩人であり小説家の井戸川射子さんが『群像』2023年1月号で発表した短篇小説『共に明るい』です。
物語の舞台は、朝の光が差し込む、乗客もまばらな始発のバス。その穏やかな空気は、一人の女性の告白によって一変します。タイトルからは想像もつかないような、息をのむほどに痛ましく、そして切実な物語。
この記事では、閉鎖された空間で語られる言葉が持つ力と、その先に見えるかすかな光について、本作の魅力をお伝えしていきたいと思います。
井戸川射子『共に明るい』
あらすじ
早朝のバス、女は過去を語り出す。
作品の魅力・異ポイント・感想

逃げ場のない密室で始まる、突然の告白
物語は、朝の始発バスの車内という、きわめて日常的な風景から始まります。しかし、その静寂は一人の女性によって破られます。「私今からつらい話をしますね」という言葉に続き、彼女が語り始めたのは、想像を絶するほど痛ましい、自身の息子の身に起きた事故のことでした。
保育園の行事で訪れた小学校で、息子が指を三本、スチール製の引き戸に挟まれて失いかけたというのです。
バスという空間は、この物語において非常に重要な役割を果たしています。一度乗ってしまえば、目的地に着くまで降りることはできません。乗客たちは、好むと好まざるとにかかわらず、女性の告白の聞き手になることを強いられます。まさに、逃げ場のない密室です。
この閉鎖的な状況が、読者に強烈な緊張感と没入感をもたらします。まるで自分もそのバスに乗り合わせ、固唾をのんで彼女の話に耳を傾けているかのような感覚に陥るのです。私たちは乗客たちと一体となり、女性が紡ぐ言葉の一つひとつから目が、いや耳が離せなくなってしまいます。
淡々とした語りが抉る、心の深い傷
この物語の凄みは、女性の語り口にあります。彼女は感情を爆発させることなく、むしろ淡々と、まるで他人事のように事故の状況を説明します。
「息子さんの手の指が欠けましたって」「もう縫い合わせてもらった後だったけど」「指の欠片三つ探して持ってきてくれたから、くっつけられたんですって」
しかし、その抑制された言葉の端々から漏れ聞こえる「肉が切れて、きっと裏返しみたいになってたんでしょう」といった生々しい描写が、かえって私たちの想像力をかき立て、事故の悲惨さや母親の心の傷の深さを浮き彫りにします。
特に胸を締め付けられるのは、「これ以上悪いことだってきっと起こるだろうと、待ち構えながらその姿を眺めてたわ」という一文です。そこには、愛する我が子を襲った理不尽な出来事への絶望と、それでも息子を守り、その成長を見守り続けようとする母親の、あまりにも深く、そして痛切な愛情が凝縮されているように感じました。
誰がドアを閉めたのか、犯人が見つからないことへのやるせなさ。そんなやり場のない怒りを抱えながらも、彼女は生きてきたのです。その静かな語りの中に込められた重みが、読者の心を強く揺さぶります。
タイトルに込められた、かすかな希望の光
物語は終始、重苦しい空気に満ちています。正直、読みながら「どこが『共に明るい』というタイトルに繋がるのだろう」と、ずっと考えていました。しかし、物語の最後に、その意味がぼんやりと、しかし確かに見えてきます。
衝撃的な告白を終えた女性は、「行かなきゃ、今日は息子と会うんです」と言い残し、バスを降りていきます。彼女が降りたのは、大きなイオンがあるだけの停留所。乗客たちは、彼女がこれから会うであろう、見たこともない青年の、そしてその育った指を想像します。
ここに、本作の救いがあります。女性は、癒えることのない深い傷を抱えながらも、息子と会い、未来へ向かって歩みを進めようとしているのです。そして、その場に居合わせただけの乗客たちもまた、彼女の痛みの一端に触れ、彼女と息子の人生に思いを馳せる。
直接的な言葉を交わすわけでも、何かをしてあげるわけでもない。けれど、同じ空間で、同じ時間、同じ話を聞いたことで、そこには目には見えない共感やつながりが確かに生まれています。
「共に明るい」というタイトルは、絶望の闇の中に差し込む、こうした他者との一瞬の交わりの中に灯る、ささやかだけれど確かな希望の光を指しているのではないでしょうか。ぞっとするような話を聞かされた後味の悪さだけでなく、最後にふっと心が温かくなるような、不思議な読後感が残りました。
おわりに

井戸川射子さんの『共に明るい』は、人間の抱える痛みと、それでも失われることのない生きていくことの強さを描いた、忘れがたい一作です。
短い物語の中に、人生の理不尽さ、記憶の重さ、そして他者と関わることの意味といった、多くの問いが投げかけられています。読み終えた後も、バスの車内の光景と女性の言葉が、深い余韻となって心に残り続けることでしょう。
