
愛する人を失った時、その喪失感をどう乗り越えればいいのか。そもそも、乗り越えることなどできるのでしょうか。今回ご紹介する中村文則さんの『ゴミ屋敷』は、そんな問いを、あまりにも奇妙で、どこか可笑しく、そして切ない形で私たちに投げかけてくる物語です。
妻の突然の死をきっかけに、心を閉ざし、やがてガラクタで家を埋め尽くしていく一人の男。その常軌を逸した行動の裏に隠された、純粋な愛と絶望。読み終えた後、あなたの目に映る世界が、少しだけ違って見えるかもしれません。あなたの『普通』をきっと揺さぶる、強烈な物語なのです。
中村文則『ゴミ屋敷』
『世界の果て』所収作
あらすじ
妻を事故で亡くした衝撃で、男は心を閉ざし動かなくなった。しかし、ある日突然目覚めると、ガラクタを集めては自宅に積み上げ始める。
作品の魅力・ポイント・感想

言葉にならない叫びが「ゴミの塔」になった日
物語は、主人公の男が妻の死の衝撃で、一切の反応を失ってしまう場面から始まります。まるで抜け殻のようになった彼は、しかしある日突然、何かに突き動かされるように動き出します。彼が始めたのは、近所から廃材や鉄屑といった、いわゆる「ゴミ」を拾い集め、自宅に積み上げていくことでした。
その行為は、日を追うごとにエスカレートしていきます。家はガラクタで埋め尽くされ、ついには屋根を突き破って、天に向かってそびえ立つ巨大な「ゴミの塔」が出現するのです。近隣住民は気味悪がり、行政も「ことなかれ主義」で対応しようとします。しかし、男は一心不乱にガラクタを積み上げ続けます。その姿は、狂気そのものに見えるかもしれません。
しかし、これは本当にただの狂気なのでしょうか。物語には、同じ事故で妻を亡くしたもう一人の遺族が登場します。彼は社会に原因を問い、署名活動を行い、テレビにも出演して「正しく」悲しみを乗り越えようとします。その対比によって、主人公の男の行動が、社会的な「普通」から逸脱した、あまりにも個人的で純粋な魂の叫びであることが際立つのです。言葉にできない悲しみが、彼にガラクタを積ませている。その塔は、亡き妻への巨大な墓標であり、届くはずのない想いを天に届けようとする、彼の祈りの形なのかもしれません。
悲劇なのに笑える「ブラックユーモア」という新境地
この物語の最もユニークな点は、極めてシリアスな状況を、思わず笑ってしまうような「ブラックユーモア」を交えて描いていることです。著者の作品に重厚なイメージを持つ読者ほど、そのギャップに驚かされるでしょう。
例えば、動かなくなった男の世話をする看護師は、彼が反応しないのをいいことに、鼻の穴に綿棒を突っ込んだりします。男が自宅に戻ってからも、世話を任された若いヘルパーの女性は、彼の顔に平気で落書きをして楽しむ始末。これらの行動は、冷静に考えれば不謹慎極まりないのですが、どこか乾いた淡々とした筆致で描かれることで、不思議な可笑しさが生まれています。
この悲劇と喜劇の絶妙なバランス感覚こそが、本作の最大の魅力です。私たちは、男の置かれた状況に胸を痛めながらも、周囲の人間たちのどこかズレた行動にクスリと笑ってしまう。しかし、その笑いは決して主人公を嘲笑するものではありません。むしろ、どうしようもない状況に置かれた人間の、愚かさや滑稽さ、そしてその中に垣間見える愛おしさを浮き彫りにします。ただ悲しいだけではない、ただ面白いだけでもない。この複雑な読書体験は、間違いなく癖になるはずです。
おわりに

中村文則さんの『ゴミ屋敷』は、愛と喪失という普遍的なテーマを、シュールな笑いと切ない詩情で描き出した、唯一無二の傑作です。悲しみの表現方法は一つではないこと、そして「普通」という枠がいかに脆いものであるかを、この物語は教えてくれます。
「最近、心が動かされるような体験をしていないな」と感じている人、常識や理屈だけでは割り切れない物語に触れたい人にこそ、ぜひ手に取ってほしい一冊です。
読み終えたあなたの心にもきっと、奇妙で、歪で、それでいてどこか温かい、不思議な「何か」が積み上がっていくことでしょう。

