
人間の欲望は、時に常識の枠を大きくはみ出してしまうことがあります。今回ご紹介する墨谷渉さんの『潰玉』は、まさにその人間の心の深淵を覗き込むような、歪で、しかし純粋な欲望で結ばれた男女の物語です。
法律事務所に勤める男、青木。一見、何不自由ない日常を送っているように見える彼ですが、その内には満たされない倒錯した渇望を抱えています。ある日、彼は電車で見かけたギャルの亜佐美に、自らの欲望を満たす「完璧な存在」を見出します。一方の亜佐美もまた、かつて護身術で習った「急所攻撃」への興味を抑えきれずにいました。
需要と供給が完璧に一致してしまったかのように、二人は出会い、そして倒錯した関係にのめり込んでいきます。読んでいるだけで思わず身体が縮こまるような暴力描写。しかし、その奥には、単なる加虐と被虐では片付けられない、歪で、しかし純粋な魂の引力のようなものが描かれています。本書は間違いなく人を選ぶ作品ですが、人間の心の奥底に潜む暗い欲望や、奇妙な人間関係のあり方に興味がある方なら、きっと目が離せなくなるはずです。
墨谷渉『潰玉』
あらすじ
若い女性に急所を蹴られたい青木。倒錯した快感に溺れる男を描いた芥川賞候補作に、新作を併録。気鋭の才能がほとばしる待望作!
作品の魅力・ポイント・感想

日常に潜む狂気と淡々とした文体のコントラスト
この物語の最も恐ろしい点は、一連の出来事がごくありふれた日常の中で起こることです。青木と亜佐美が出会うのは駅の地下道、暴行の舞台となるのは駐車場の片隅やカラオケボックス。私たちが普段何気なく通り過ぎるような場所で、常軌を逸した行為が淡々と繰り返されます。
著者の墨谷渉さんは、その異常な状況を、感情を排したかのような淡々とした文体で描き出します。主人公である青木の視点も、まるで他人事のように冷静です。彼は暴行を受けながら、相手の蹴りの角度や速度、衝撃の伝わり方を分析さえします。この冷静すぎる語り口が、読者に言いようのない不気味さと居心地の悪さを感じさせ、物語の狂気を一層際立たせるのです。
もしこれが、もっと感情的な文章で書かれていたなら、読者は主人公に感情移入するか、あるいは単なる暴力小説として距離を置くことができたかもしれません。しかし、この作品では、そのどちらも許されないのです。私たちはただ、目の前で繰り広げられる異様な現実を、青木と同じく冷静な傍観者として見つめることしかできません。その独特な読書体験こそが、本作の大きな魅力と言えるでしょう。
「痛み」でしか繋がれない、究極の倒錯した関係
物語の中心にいるのは、弁護士の青木とギャルの亜佐美です。青木は、社会的成功を収め、婚約者もいるエリートです。しかし、その内には満たされない渇望があり、自ら屈辱と肉体的苦痛を求めます。彼は、自分を傷つけてくれる存在として亜佐美を見出し、彼女の暴力を受けることに至上の喜びを感じるようになります。
一方の亜佐美もまた、ごく普通の若者に見えますが、その心には「男性の急所を攻撃したい」という強烈な衝動を秘めています。彼女にとって、それは護身術の実演練習の延長線上にある、純粋な興味と探求心の対象です。彼女の暴力には、憎しみや怒りといった感情はほとんど見られません。むしろ、どうすればより効果的に相手を打ちのめせるか、その反応はどう変化するかを、無邪気に楽しんでいるかのようです。
この二人の関係は、まさに「急所を打ち上げられたい男」と「急所を打ち上げたい女」という、歪みきった需要と供給の一致によって成り立っています。恋愛でもなければ、友情でもない。彼らを繋ぐのは、ただ「痛み」という一点のみ。青木が亜佐美の蹴りを「これだ」と感じる場面や、亜佐美が青木の苦しむ姿を見て満足する場面は、倒錯的でありながら、ある種の運命的な出会いのようにも見えてしまいます。これほどまでに特殊な形で惹かれ合う関係性を、あなたは受け入れられるでしょうか。
これはSMか、純愛か、それとも「悲しい逸脱」か
この物語を読み進めるうちに、読者はある種の混乱に陥るかもしれません。これは単なるSM(サディズムとマゾヒズム)の世界を描いたフェチ文学なのでしょうか。確かに、加虐と被虐という構造はSMそのものです。しかし、青木と亜佐美の関係は、一般的なSMのイメージとは少し違うようにも感じられます。
そこには、ルールや合意に基づいた「プレイ」というよりは、もっと生々しく、衝動的な欲求のぶつかり合いがあります。青木は、亜佐美の暴力を受け入れることでしか自己を肯定できず、亜佐美は、青木という完璧な「標的」を得て、自らの衝動を解放していきます。彼らは互いにとって、唯一無二の存在であり、必要不可欠なパートナーなのです。
物語の終盤、青木はフランスの貴族についての本の一節を思い出します。「他人の苦痛や不幸の中に喜びを見出すという悲しい逸脱」。彼は自問します。この「悲しい逸脱」とは、亜佐美のことか、自分のことか、あるいは二人ともなのか。この問いは、読者である私たちにも向けられています。常識や倫理観を揺さぶられるような彼らの関係を、私たちはどう捉えればいいのでしょうか。
彼らの間に存在するのは、恋愛とは全く異なる絆かもしれません。しかし、互いを渇望し、求め合うその姿は、ある意味で究極の純愛の形とさえ言えるのかもしれない、などと考えてしまうのは、私だけでしょうか。
おわりに

墨谷渉さんの『潰玉』は、読者に強烈な生理的嫌悪感と、抗いがたい魅力を同時に感じさせる、唯一無二の作品です。暴力と快楽、日常と狂気が交錯する世界で描かれる、歪で純粋な二人の関係。読み終えた後、あなたの価値観は良くも悪くも大きく揺さぶられていることでしょう。
