
あなたは「美しさ」を永遠に保ちたいと願ったことはありますか。もし、その美しさがあなたの幸せのすべてだとしたら…
今回ご紹介するのは、花房観音さんの短編小説『妬湯』です。本作は、美貌を武器に望むものを手に入れてきた女性が、その執着によってじわじわと恐怖に追いつめられていく物語です。人間の欲望と嫉妬が渦巻く、少しビターでスリリングな読書体験をしたい方にぴったりの一篇です。
花房観音『妬湯(うわなりのゆ)』
(『小説新潮』2021年8月号 所収作)
あらすじ
ーー不倫の末、愛する夫を手に入れた礼子。新婚生活が始まった矢先に
作品の魅力・ポイント・感想

幸せの絶頂から始まる不穏な物語
主人公の「私」は、かつて容姿に強いコンプレックスを抱えていましたが、血の滲むような努力と美容整形で誰もが羨む美貌を手に入れます。パーティーコンパニオンとして働く中でエリートの眞一と出会い、彼の妻から略奪する形で結婚、何不自由ない幸せな生活を送っていました。
彼女は信じています。「人は見かけじゃないなんて綺麗ごとにすぎない」「美しくないと、愛されないのだ」と。その信念は、眞一の前妻が太って醜かったこと、そして自分が若く美しいからこそ彼に選ばれたという事実によって、より強固なものになっていました。
しかし、その完璧なはずだった日常は、ある日を境に静かに崩れ始めます。誰もいないはずの廊下にできる謎の水たまり、どこからか漂う腐臭、そして浴槽に浮かび上がるおぞましい影…。彼女の周りで次々と起こる奇怪な現象は、かつて自分が追い詰めた男の妻の存在を否応なく意識させるものでした。
ゾクっとする心理描写とリアルな恐怖
この物語の魅力は、単なる幽霊話ではない、主人公の心の弱さや焦りを巧みに描いた心理描写にあります。最初は気にも留めていなかった前妻の存在が、怪奇現象をきっかけに、次第に彼女の心を蝕んでいく様子は読んでいて背筋が凍るようです。
特に印象的なのが、主人公が夫のアルバムで目にした、かつての美しかった頃の前妻の写真です。幸せそうに笑うその姿は、「醜い女」と見下していた彼女のイメージを覆し、「なぜ彼女は変わってしまったのか」という新たな疑問と恐怖を主人公に植え付けます。
追い打ちをかけるように、夫に若く美しい秘書ができたことで、彼女の心はさらに揺らぎます。かつて自分がしたように、夫の心が若い女に移ってしまうのではないか。美しさがすべてだと信じてきた彼女にとって、それは死にも等しい恐怖でした。
短編ならではの切れ味とエンターテイメント性
本作は短編小説ということもあり、非常にテンポよく物語が進んでいきます。複雑な伏線や難解な表現はなく、まるで上質なホラー映画を観ているかのような感覚で、一気に最後まで読み進めることができるでしょう。
「自分が奪ったように、自分も奪われる」という因果応報のテーマは王道ながらも、美醜への執着や年齢を重ねることへの恐怖といった、女性なら誰しもが少しは共感してしまうであろう要素が散りばめられており、物語にぐっと引き込まれます。
ホラーと不倫という刺激的なテーマを扱いながらも、その根底にあるのは「幸せとは何か」「本当の価値とは何か」という普遍的な問いかけです。主人公が最後にたどり着く結末は、読者に強烈な印象を残すに違いありません。
おわりに

花房観音さんの『妬湯』は、人間の嫉妬や執着心が生み出す恐怖を、エンターテイメント性豊かに描いた作品です。美しさを手に入れ、幸せの絶頂にいたはずの女性が、見えない影によってゆっくりと狂っていく様は、まさに悪夢のよう。
「美しければ、本当に幸せになれるのか。」
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