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本や映画の感想

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夏木志朋『二木先生』“「きみ、結構いやらしいよね。性格が」”

「普通」とは、一体何なのでしょうか。この社会で「普通」に生きるとは、どういうことなのでしょうか。2019年に第9回ポプラ社小説新人賞を受賞された夏木志朋さんのデビュー作『ニキ』(文庫化で『二木先生』に改題)は、そんな根源的な問いを、読者の胸に鋭く突きつけてくる衝撃的な一作です。これは単なる青春小説ではありません。生きづらさを抱える全ての人々の魂を揺さぶる、鮮烈な物語です。読後には、きっと「自分にとっての普通とは何か」を深く考えさせられることでしょう。

夏木志朋『二木先生』

二木先生 (ポプラ文庫)

あらすじ

どうしたら普通に見えるんだろう。どうしたら普通に話せるんだろう――。いつもまわりから「変」と言われ続けてきた高校生の田井中は、自分を異星人のように感じていた。友だちが欲しいなんて贅沢なことは言わない。クラスのなかで普通に息さえできたなら。そのためならば、とむかしから好きでもない流行りの歌を覚え、「子供らしくない」と言われれば見よう見まねで「子供らしく」振舞ってもみた。でも、ダメだった。何をやっても浮き上がり、笑われてしまう。そんな田井中にとって唯一の希望は、担任の美術教師・二木の存在だった。生徒から好かれる人気教師の二木だったが、田井中はこの教師の重大な秘密を知っていたのだ。生きづらさに苦しむ田井中は二木に近づき、崖っぷちの「取引」を持ち掛ける――。社会から白眼視される「性質」をもった人間は、どう生きればよいのか。その倫理とは何か。現代の抜き差しならぬテーマと向き合いつつ予想外の結末へと突き抜けていく、驚愕のエンタテインメント。2019年ポプラ社小説新人賞受賞作。

引用元:Amazon

作品の魅力・ポイント・感想

「普通」になれない二人の奇妙な共犯関係

物語の主人公は、高校生の田井中広一です。彼は、何を話しても、あるいは黙っていても、周りから「変なヤツ」と見なされ、常に周囲から浮いた存在でした。学校生活においても、友人関係においても、どこか一線を引かれてしまうような孤独感を抱えています。そんな彼が唯一、自分を理解してくれるかもしれないと人間的な関心を寄せたのが、美術教師の二木良平でした。二木先生は生徒たちから慕われる穏やかな教師であり、広一にとって、学校で唯一心を開ける存在のように思えました。

しかし、穏やかで生徒に人気の二木先生には、決して人には言えない秘密がありました。広一さんは偶然その秘密を知ってしまい、それをネタに二木を脅迫するという、常識では考えられないような行動に出ます。ここから、周囲に馴染めない高校生と、危険な秘密を抱える教師という、歪でスリリングな共犯関係が始まっていくのです。彼らの関係は、単なる生徒と教師という枠には到底収まりません。互いの弱みを握り、反発し合いながらも、どこかで深く共鳴し合う。その姿は、読者に「普通」や「異常」の境界線とは何かを、改めて問い直させる力を持っています。二人の間に築かれる、危うくも奇妙な絆は、読者の心を強く惹きつけます。

タブーへの挑戦が生む、強烈な問い

本作が衝撃的と言われる所以は、そのテーマにあります。物語の核心で扱われるのは、小児性愛(ペドフィリア)や発達障害といった、非常にデリケートで、ともすれば敬遠されがちな題材です。しかし、著者の夏木志朋さんは、これらのテーマから目を逸らしません。二木を単なる「変態教師」として断罪するのではなく、また広一を「可哀想な少年」として描くのでもありません。彼らが抱える特性を、安易なレッテル貼りで片付けることなく、一人の人間として深く掘り下げて描いています。

インタビューで著者は、「彼らを悪役に置くのでもなく、また、手放しに、生きづらさを抱えた弱者として描くのでもなく、ただ『そのように生まれついた』人間たちが、ではどう生きるかを描いた物語がほしかった」と語っています。この言葉通り、作中では彼らの抱える特性が、善悪の二元論でジャッジされることはありません。あくまで、抗いがたい特性を抱えた一人の人間が、社会の中でいかにして自分自身と折り合いをつけ、生きていくのかという葛藤が、克明に描かれています。賛否両論を巻き起こすであろうこの挑戦的な姿勢こそが、本作に強烈な問いと、忘れがたい読書体験を与えているのです。読者は、彼らの内面を通して、人間の多様性や複雑さについて深く考えさせられることでしょう。

「普通」という名の鎧と、本当の自分

私たちは、社会で生きていくために、多かれ少なかれ「普通」という名の鎧を身にまとっているのではないでしょうか。二木は「善良な教師」という仮面を被ることで、自らの性的指向を必死に隠しています。彼は社会の規範に適合しようと努力し、そのために大きな葛藤を抱えています。一方の広一は、周囲から貼られた「変なヤツ」というレッテルを、いつしか自らのアイデンティティとして拠り所にするようになっていました。彼は「普通」であろうとすることに疲れ、むしろ「変なヤツ」であることに安らぎを見出しているようにも見えます。

彼らの姿を見ていると、自分がいま着ている「普通」という服も、本当に自分の体に合っているのだろうか、と不安になります。世間の言う「普通」と、自分が心地よいと感じる「自分らしさ」の間に、大きな隔たりを感じたことがある人は少なくないはずです。この物語は、そんな私たちの心の奥底にある息苦しさや孤独感を、優しく掬い上げてくれます。そして、本当に大事なことは、現実から少し離れた場所に隔離しておくべきかもしれません、という作中の言葉が、重く響くのです。この言葉は、社会の常識や期待から距離を置くことの重要性を示唆しており、読者に深い共感を呼び起こします。

おわりに

『二木先生』は、読んだ後に簡単な言葉で感想を言うのがはばかられるような、重層的で複雑な物語です。しかし、その根底にあるのは、「普通」の呪縛から逃れ、自分らしく生きたいと願う、切実な祈りのようなものでしょう。生きづらさを感じたことがある人、社会の同調圧力に息苦しさを覚える人、そして「普通」という言葉に疑問を抱いたことがある全ての人に、ぜひ手に取ってほしい一冊です。この作品は、あなた自身の「普通」という概念を揺さぶり、新たな視点を与えてくれるはずです。あなたの心に、深く、そして静かに、爪痕を残すに違いありません。読後には、きっと自分自身の内面と向き合うきっかけとなることでしょう。

参考サイト

books.bunshun.jp

kadobun.jp

ddnavi.com