プロレスとは、単なるスポーツなのでしょうか。それとも、壮大な物語なのでしょうか。
この問いに、一つの答えを示してくれる存在がいます。それが、“悪の化身”グレート・ムタです。そして、そのムタを操る稀代の天才レスラー、武藤敬司選手が自らペンを執り(代筆という形で)、その35年に及ぶ歴史のすべてを語ったのが、本書『グレート・ムタ伝』です。
この記事では、私がプロレスに最も夢中になった時代と、本書で語られるムタの真実を重ね合わせながら、この本がファンにとってどれほど価値のある一冊なのか、その魅力について語っていきたいと思います。
武藤敬司『グレート・ムタ伝』
作品紹介
日本マット界を代表するトップレスラー武藤敬司が遂に『“悪の化身"グレート・ムタ』の伝記を代筆! ムタ誕生前夜の海外武者修行時代(フロリダ地区、プエルトリコ、ダラス地区)に始まり、大ブレイクしたWCW時代、そして新日本プロレス、全日本プロレス、ハッスル、WRESTLE-1、プロレスリング・ノアに至るまで35年に及ぶ歴史が一冊の書籍になった。
国内外のリングで数々の大物レスラーと対峙した時、武藤敬司とグレート・ムタは何を考えていたのか? 稀代の天才レスラーがプロレスの本質も説き明かすファン必読の一冊!!
作品の魅力・ポイント・感想
「悪の化身」誕生の裏側と、アメリカでの大ブレイク
私がグレート・ムタという存在を初めて知ったのは、小学生の頃に夢中になったプレイステーションのゲームソフト『闘魂列伝3』でした。毒々しいペイント、奇抜なコスチューム、そして何より、その独特な動きと技のインパクト。子ども心に、その分かりやすいキャラクター性は強烈な印象を残しています。
しかし、本書を読んで驚いたのは、その誕生の経緯です。私の中では、ムタは最初から「グレート・ムタ」として完成された存在だと思っていました。ですが実際には、海外武者修行時代に、「ホワイト・ニンジャ」から「スーパー・ブラック・ニンジャ」へ、そして「グレート・ムタ」へと、試行錯誤を繰り返しながら進化していったというのです。
さらに衝撃的だったのは、そのルーツがザ・グレート・カブキの息子という設定だけでなく、実はケンドー・ナガサキに行き着くという事実でした。プロレスの歴史の奥深さを感じさせる、ファンにはたまらない裏話です。本書では、アメリカのプロレス団体WCWで、いかにしてグレート・ムタというキャラクターが大ブレイクを果たしたのか、その過程が武藤選手自身の言葉で詳細に語られており、当時の熱狂を知る者としては、答え合わせをするような興奮がありました。
日本マット界での葛藤と、nWoという社会現象
アメリカで絶大な人気を博したムタは、やがて日本マット界に逆上陸します。私がプロレスにのめり込んでいったのは、まさにこの時期でした。新日本プロレスのリングで躍動するムタの姿を、私は食い入るように見ていました。
他の選手とは全く違う、予測不能な動き。場外乱闘は当たり前、凶器攻撃、そして代名詞とも言える毒霧。テレビ放送で彼の試合が観られる日は、私にとって「当たり」の回でした。特に、社会現象にまでなった「nWoジャパン」時代のムタは、そのカリスマ性にますます磨きがかかり、私は夢中になりました。ビデオを買い、入場曲集のCDを買い、来る日も来る日もムタの世界に浸っていたものです。
本書では、そんな日本での活動の裏側も赤裸々に語られています。例えば、WCWでは反則負けとなった毒霧攻撃が、なぜ日本では有効だったのか。安田忠夫選手との試合で見せた、鬼気迫る首絞め攻撃の真意は何だったのか。ファンが抱いていた長年の疑問に対し、武藤選手自身の視点から、その答えが明かされていきます。これは、単なる暴露話ではありません。プロレスというジャンルが、国や文化によってどう見られ、どう作られていくのかという、深い考察にも繋がっています。
私が感じた「進化し続けること」の重要性
正直に告白しますと、2000年代に入り、nWoジャパンが分裂し、武藤選手が全日本プロレスへ移籍してからの私は、プロレスと少し距離を置いてしまっていました。ですから、本書の後半で語られる全日本時代や、WRESTLE-1、ハッスルでの活動については、知らない選手の名前も多く、少し寂しい気持ちにもなりました。
しかし、それと同時に、武藤敬司というレスラーの、終わらない探究心に改めて驚かされたのです。長年苦しめられてきた膝に人工関節を入れ、それでもなお、新しいプロレスを模索し続ける。コロナ禍で毒霧が使えなくなれば、また別の表現方法を考える。そして、私が本書で最も驚いたのは、彼がプロレスリング・ノアに「入団した」という事実でした。
一つのスタイルに安住せず、常に変化し、進化し続けること。それは、プロレスラーに限らず、どんな職業にも通じる、成功への唯一の道なのかもしれません。本書は、グレート・ムタという一人のレスラーの伝記であると同時に、「停滞は衰退である」という、普遍的なビジネス書としても読むことができるでしょう。
おわりに
『グレート・ムタ伝』は、私のように、かつてプロレスに夢中になった人間にとって、最高のタイムマシン本です。忘れていた熱狂を思い出させてくれるだけでなく、あの頃見ていた情報の裏側を知ることで、さらにプロレスというジャンルを深く愛せるようになります。
そして、現在進行形でプロレスを追いかけているファンにとっても、稀代の天才レスラーの思考に触れることができる、またとない機会となるでしょう。なぜ武藤敬司は、そしてグレート・ムタは、これほどまでにファンを魅了し続けるのか。その答えが、この一冊には詰まっています。プロレスファン必読、とはまさにこの本のためにある言葉だと思います。